令和元年6月7日
公益財団法人 壽崎育英財団の奨学生の皆様へ
理事長   寿崎 肇
 

テレビで平成での天皇陛下の退位の儀式を見ながら二度と見ることにない平成。この30年間私のことを思い出しておりました。寿屋の跡継ぎと思っていました長男の蕃を亡くしたのと続いて最愛の妻愛子を亡くした平成でした。その分私を100才まで元気で指導させる為百百の会を組織し、2ヶ月に一度勉強会をやっています。又平成1年に私が国際ロータリー2720地区(大分県と熊本県)のガバナーを拝命、新ロータリークラブを8クラブ創設しました。今年30周年記念式典が行われております。昨年は4つの病院を出たり入ったりの1年でしたが、今年は割と元気に過ごさせて頂いております。有難いことでございます。奨学生から頂く毎月150通のお手紙の近況報告読み返したり書き写したりと頭の体操に余念がありません。有難いことでございます。

最初の方は卒業されて4月から赴任する小学校も決まり新しく決意をお書きになっておられます。では、

○私は4月から赴任する小学校が決まり、準備を始めたところです。宮崎市内の小学校に決まりました。校長先生も優しく自宅から10分の場所にある学校です。「朝、時間に余裕を持って通勤する」「すべてメモをとる」「何事も3秒以内に決断する」の3つの目標を立てました。新しい場所で周りの先生方に支えて頂きながら精一杯頑張ろうと思います。3年間奨学生に選んで下さり先生方の貴重なお話を聞かせて下さり、とても感謝しています。ありがとうございました。とても有意義な学生生活を送ることができました。これから生きていく中で先生方の話が心の支えとなると思います。感謝の心を決して忘れず邁進して参ります。

とおっしゃっておられます。
3つの目標のうち3秒以内に決断は素晴らしい決断です。一生続けて下さい。ありがとうございました。


次の方は卒業式やその後のことなど皆様ご経験のことと存じますがお読み下さい。では、

○昨年度に続き今年度もご支援のほどありがとうございました。3月22日無事に卒業することができました。卒業までいくつもの大変なことがありましたが、先生方のご支援等により乗り越えることができ、本当にうれしく思っています。近況報告ですが3月は家業の手伝いと大学の卒業式後の謝恩会に行ってきました。卒業式後の日からは風邪で寝て過ごしていました。そのため報告では卒業式後の謝恩会のことを主に書きたいと思います。卒業式は先生方とお会いする機会が少ないため、今までの感謝を示す謝恩会の方に参加してきました。謝恩会では先生方や同期の皆に会うことができ、和やかな雰囲気で過ごすことができました。この会では研究室ごとに分かれて席に座り、順番にご指導を頂いた先生から終了証書をもらう流れとなりました。最後の会なので多くの先生方とお話をする機会に恵まれ普段話していることとは別に日常のことを話すことができました。やはり男性の先生方、たくさんのお酒を飲まれており陽気な姿を見せてもらいました。こんな和気あいあいとした場でしたので、まだまだ先生方とお話することが色々あったのだなと痛感しました。謝恩会が終わった後は同期の皆と最後のさよなら会を行いました。みな千葉や愛知、京都など別々に就職していくので、これが最後の機会なのだなと思い、たくさんの思い出話をしました。そして苦労話では同期の皆も同じように苦労していたのだと分かり、自分1人だけ苦労していなかったのだと思いました。このような会でも同期と楽しく話すことができ、人生の一区切りとなることが出来ました。3月ではこのほか実家の家業を主に手伝っていました。実家に戻ってからは、就農するため苗植えや3本立てなど基礎的なことをしていました。今まで椅子に座って勉強する機会が多かったので足腰が筋肉痛を起こし、歩くのも辛かったのですがだんだんと慣れてきてようやく少しは役に立つようになってきたのではないかと思っています。これから家族全員で頑張って働き熊本地震で半壊判定された家を修復していきたいと考えています。ただ心配していることもあります。それは人間関係です。高校卒業してから同級生や地域の人達と全く交流していませんでした。10年程話す機会に恵まれていませんでしたので自分がどのように思われているのか多少の心配はあります。そのためにはまず同級生から会って再び親交を深めていけたらと思っています。今月はこの辺りで失礼させて頂きたいと思います。ありがとうございます。

とおっしゃっておられます。
卒業して早々に家業の農業なさる何か日本一のものを創り農業の素晴らしさを日本人に知らして頂きたいと写させて頂きながら感じました。ありがとうございました。


次の方は入院のつらさ苦しさそして親孝行の両確認と実行についての報告です。では、

○私は1月初めに前十字靭帯断裂と外側半月板断裂の大怪我を負い2月末に入院し手術を受けましたが術後経過は良好で順調に快方へ向かい、ついに今月の7日に退院することができました。入院中は他の入院患者さんたちに大変よくしていただき、すごく仲良くなってしまっていたため退院するには少し寂しい思いでした。退院前日には私の病室に何人もの方がいらっしゃって井戸端会議をしながら退院後も頑張れよと背中を押されての退院でした。退院時はまだ負荷(足を地面につけて体重をかけてはいけない状態)だったので松葉杖を2本使いながらでないと歩けない状態でしたが退院した次の日からは部活の合宿の予定だったのでもちろん参加しました。病院の皆さんにはそんな足で行ってどうするのかと随分笑われてしまいましたが、合宿では特に問題が起こることもなく無事に乗り切ることができ、ホッとしました。山奥の合宿所で坂道や急な階段が多く何度か冷汗をかくような場面もありましたが何事もなく3日間過ごすことができたのはチームメートの助けのお陰です。父について書くことを忘れていました。今回の入院に際し、身の周りの世話のために父がわざわざ熊本から鹿児島まで来てくれました。高齢の父が遠方からやってきて私の着替えや差し入れをリュックに詰め込み、もったいないからとタクシーを使うこともせず毎日毎日歩いて病院までやってくる姿を見ていると申し訳なさと感謝で胸がいっぱいになり、親とはなんと偉大で有難いものなのだろうかと親という存在に今一度改めて感謝しました。また親について思ったことがもう1つ。私の母は昔から股関節が悪くわたしが高校生の頃、人工関節を入れる大きな手術のために長期間入院したことがありました。反抗期真っ只中だった当時の私はあろうことか一度も見舞いに行かず、電話すらかけることはありませんでした。さらにそれは一つ違いの姉と妹も同じだったのです。実際に自分が入院生活を送ってみて、当時の母は身体の痛みもさることながら、たった一度の見舞すら来ない我が子のどれほど心を痛めつけられ、どれほど、どれほど悲しい思いをし、いったいどんな思いで毎日眠りについたろうかと思うと後悔の念に押しつぶされ、20才を過ぎた男が情けない話ではありますが夜の病室で一人涙が止まらなくなってしまいました。その夜すぐに母に電話をし、心から謝罪をし、母は快くその謝罪を受け入れてはくれましたが、私が母にした仕打ちは到底一度や二度の謝罪で償いきれるものではありません。父にも母にも今後に人生を通してできるだけの親孝行をし、これまでの恩に報いていかなければならないと、そんな決意を新たにした今回の入院生活でもありました。

とおっしゃっておられます。
入院のお陰で親孝行でない自分はよくわかったお話でもあり今後の人生に思いやりの心を忘れない人間となりました。誠におめでとうございます。ありがとうございました。


次の方は施設実習を通して「命の尊さ」について改めて考えさせられたという実習の経験のお話です。では、

○私は今月12日間の施設実習で乳児ホームでの実習を行いました。そこでは乳児さん、幼児さんのオムツ替えや授乳のやり方を学び、その他にも現場に出てもすぐに役立つ技術と知識を身に付けることができました。私が保育所とは違うなと思った点は入所している子ども達全員が保護を必要とするまでの虐待やネグレストなどのバックグランドを持っていることです。そのため一般的な健康的身体ではなく臓器などが弱っている場合が多く風邪を引いたのがきっかけで死に至ってしまうリスクが高い状況におかれている子ども達に養育者は常に危険を予測し防止する必要があり、その場面を何度も目にすることがありました。養育者は子ども達の異変に一番に気づき安心感を持って快適に過ごせるように常に観察し記録し養育者同志で情報共有を行うようにしていました。更に言葉遣いの丁寧さや実習生への対応においても、お手本にしたいと思う点があり多くの学びを得ることができました。私はこの施設実習を通して「命の尊さ」について改めて考えさせられました。このことについて深く考えさせられたのは授乳する際「生きよう」と力強くミルクを飲む赤ちゃんの姿です。「なぜこんなにも可愛い赤ちゃんがここにいるのだろうか」「本当の幸せは親元にいることか」「それとも施設で健康的に保護されて育つことか」このような疑問が浮かび上がってきました。しかし幸せとは本人が判断することであり、結局今目の前に居る子ども達に愛情を持って接することしかできないと思いました。いづれにしても施設では愛情深く子ども達と関わってくれる大人がいて親元に帰ったり、里親の元に行ったりと、子ども達がこの先幸せでいられるための過程において必要不可欠な架け橋である存在だということが実習を通して分かりました。私はこれから実習で学んだことを活かし「子ども達の幸せとは何か」をテーマに保育者として自分に出来ることを見つけて実現できるだけの力をつけていきたいと思っています。

とおっしゃっておられます。
「子ども達にとって幸せとは何か」への挑戦が始まる方のお話です。私が育った時代を考えますと父が厳しい時は母が抱きしめやさしく守って下さったと思います。母親は自分の腹を痛めた我が子。こんな激しい家庭で育つ子ども。昔もあったのかなと思いました。人生の勉強させて頂きありがとうございました。
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