平成24年11月25日
(財)寿崎育英財団奨学生への皆様へ
理事長   寿崎 肇

第25回商業界米国小売業視察セミナーが平成24年10月9日より10月15日まで米国のデトロイトとシカゴの2都市で行われました。前回分はデトロイトを主に報告いたしました。今回はシカゴに移ってから帰国するまでの、ご指導を頂いた石原靖曠先生の早朝ゼミ。視察の車中での先生のお話。見学先の小売業の状況などのメモを報告して終わらせて頂きます。

石原先生の早朝ゼミから申上げます。
○米国についての総括をしておきたい。普通旧商店街のある処をダウンタウンと言います。アップダウンに対してです。ダウンタウンから15分位の処をアーバン。ずっと外側のカントリー(田舎)との中間をサバーバン。ショッピングセンター(SC)は近隣型SC(ネイバーフッドSC)から大型のリ−ジョナルSCは変化していきます。GMSのシアスの歴史は、最初は時計の修理屋からです。修理屋に時計の修理を送って来る。このことから通信販売の道を開きます。カタログを送って注文をとる。通信販売の繁盛をもとにその品揃えを店に。そして自社ブランドを多くもつ店ゼネラル、マーチャンダイジングストア(GMS)となります。特に家電の白ものと言われる品々はシアスの仕様書で下請けメーカーに作らせます。商品の機能の内で必要のない昨日は削り落とします。その結果安く出来た家電製品が米国の各家庭に普及していました。お店には業種店と業態店があります。業種店は品名を頭につけた店、魚屋、肉屋、野菜屋などです。これはお客様の側から見たら便利が悪い。一箇所で希望の品が買えるようになること。業態の店つまり買物でお客様側からのスーパーマーケットなどの買い物主語へ進化。業種店での不便が解消されました。パワーカテゴリーが生まれました。ヨドバシカメラに行けば電気屋さんが見れば死に筋がいっぱいと言われますのが1年や2年に1個しか売れないものでもお客様から見れば必要な品。これが売上となり秋葉原1200億円。名古屋のデパート売上1200億円ヨドバシカメラ大阪が1200億円の売上。世の中はライフスタイルの店の時代へ移って来ました。米国での変化は1930年「SM+Dgs+VS」→ネイバークッドSCとなり。1945年「デパート+専門店10〜15店」でオープンモールSCをつくり。1960年「デパート2〜3店+専門店20〜30」→リージョナルSCを形成し。1965年ファッションアイランドと言われるSCが作られ同時期に住宅の近くにSMやDgsが単独で出店立地革命と言われました。1980年にはSCをモールとも呼ぶようになり内容の店は「DEPT3店にGMSが1〜2店+専門店が30〜150店」で形づくりました。2000年からの客の求めはライフスタイルセンターになりました。以上年代でのお客様の求めがSCの変化となって来たのでした。
ゼミでの石原先生の強調されたことは「真の商人を目指そう」と「店は客の為にあり」「店員と共に店は栄え」「店主と共に滅びる」客が見せに求めるものは何か。をもっと深く考えてみよう。買物は店で誰の制約も受けず自由である。自由とは客の選択の自由です。選択を考えると「業態の選択」
「商品の選択」「価格の選択」「店の選択」「便利さの選択」と限りない選択の自由があります。事業経営は社員の力が80%トップの力が20%と。店は経営者だけでは役割は高められない。店員の果たす役割が極めて大きい。特に小売業はメーカーや金融業とは違います。商業経営で最もマッチするのは、ファミリービジネスです。吾々の店がお客様に支持され、長く存続出来る為に、「店はいつ滅びるのか、潰れるのか」を考えてみます。結果はすべて店主です。「店主の慢心と独占欲」「お客様の為より自分の為」そして店は滅びていくのです。私の創立した寿屋の倒産は3代目社長がこの石原先生のおっしゃるとおりで滅びていきました。
○車中での石原先生のお話。世界一の小売業ウオルマートの話題は1980年頃はまだ聞きませんでした。ウオルマートはGMSに分類されています。つまり自社ブランドを多くもった店。日本の場合のGMSは何でも良く揃った店を言っています。ダイエー、ジャスコ、イトーヨーカ堂、ユニーなどです。米国でのGSMはプライベート・ブランドの店です。ウオルマートのスタートは創業者サム・ウオルトン氏がJCペニーで学びました。それがカスタマー・イズ・ボス。とかカスタマーNO.1とか、社員は宝ですからアソシエイト。と。大学の卒業論文は「リーダーシップ」でした。結婚して奥さんの意見で大都市は嫌い。田舎も人口3000人以下の町に住みたい。と。米国で奥さんの希望は天の声です。当時の仕事はベンフランクリンのFCでバラエティストアの店でした。サムウオルトンはイベント好きです。バラエティストアはテンセントストアと呼ばれ生活必需品を売る店です。大体テンセントで客を楽しませるのが大好き。1957年NYニューヨークにDSのコルベットが開店しました。生活必需品はバラエティストアのベンフランクリンの品揃えより数等上です。百貨店並みに感じました。それでベンフランクリンのフランチャイザーに対してD.Sへの進言をします。ザーの社長はサムウオルトンに対し、あなたはこの10年間店舗を15店持ちました。何も考えなくても良いように言われ、社長には危機感なし、と思いました。コルベット開店を見学した人でKマートを創ったカニンガムも居ました。この方も歴史に残る方です。決意をしたサム・ウオルトンは1962年、アーカンソー州ベントンビルより約30分のロジャースにウオルマートを開店しました。自ら仕入れをします。中に1年分の仕入れをしてしまいました。考え抜いたあげく、1年分の商品を1ヶ月で売ってしまいたい。荒利益を1ヶ月もらうだけの為に1年分の商品の荒利益率の12分の1。つまり当初36%の荒利率を3%の値付けで1ヶ月で売り切ってしまいました。ウオルマートは耐久消費財は売らない。ファッションも売らない。と決めました。今後戦略として出店地域を流入地にするか流出地にするかについ買物の場の少ない流出地と決めました。同じDSへ参入したKマートは流入地に立地しました。そして安く仕入れたものは安く売る。余分な経費は使わない。又社員を資産と考え従業員ではなくアソシエイトとしました。社員は同志であり、仲間。社員株主づくりを考えパートでも働く時間と期間を定めて、株主への権利を与えました。この考えは共産主義でもなく自由主義でもなく、社会主義でもなくウオルマート主義と言うそうです。メンバーシップホールセールクラブ(MWC)サムスを創りました。サムウオルトンは真似の名人と。評判。フランスでのハイパーマーケットを米国でもとハイパーマートUSAを創りましたがコスト面で3店で打ち止め結局失敗でした。これ等の教訓で食品の勉強も出来ておりましたので今までのDCに食品を加えた「ウオルマート、スーパーセンター」を創立しました。今までのDSに食品の荒利率0でも客数増を考えて十分採算は合います。しかし15%に設定しました。当時SMの大チエンの荒利益は26%程でした。先生は1993年と2004年にウオルマートの株主総会に出席しました。総会出席者1.4万人大部分社員株主。Tシャツの背に「俺は株主」と書いたものを着用。当日の株価は93ドル気勢をあげていたのは「株価をあげる為に頑張るぞ」と。お話を頂きました。

○ミールソリューションについて。1992年ウオルマートが今までのDSに食品を加えてスーパーセンターを開店します。MWCのコストコが経費をまかなうだけの荒利率10%で。利益は会員の会費年25ドル/1人。ウオルマートセンターは15%。SMチエンは26%この危機感をSM協会のSMに対し、台所代行業に力を入れるように提言。今までSMは食品材料の販売店。それに過程の主婦の手数がはぶけ、食品でお客様の困っていることへ応えてあげるようにと、ミール・ソリューションを提言しました。おかげで世界のSMが活用しています。

○トレーダージョー(SM)小型のスーパーマーケットです。味で特徴のあるSMです。ロス・アンゼルスを本拠とする食品チェンです。全米22州とワシントンDCに365店舗展開年商85億ドル(2011年)。大手では出来ないことに力を入れておる小型SMです。2006年は243店年商は22.8億ドル。5年で年商は4倍程。1店売上は06年が940万ドルを11年は2330万ドル。社主のコロンビーがロスに最初に出した店舗はコンビニのような店。初めて「トレーダー・ジョーズ」の名前の出店は1966年パサデナで開店。店舗は小さくてセブン・イレブンとの競争が激しく次第に大きくしてワインや食品を巾広く扱うようになりました。現在はグルメフード、オーガニックフード、ベジタリアンフード。輸入食品、各種ワイン、ユニークな冷凍食品も品揃えし「グルメスーパーマーケット」と呼ばれる、比較的高級志向の食品小売業に分類されます。ただ食品はじめ多くのオリジナル商品の展開で知られています。目につくのはワインで1本1ドル99セントの格安ワイン「チャールズジョー」の人気と評判は高いとのこと。参加した人の中でおいしい品を探し当ておいしいと喜んでおる人もおりました。私もチョコレートを買いました。バスで回って来たチョコはほんとに美味しかった。小さい店なのに多くのお客様。それが365店舗のお店の1つ。社員教育の徹底したお店。味で勝負する味にこだわる強さの店。トレーダージョーは日本で真似すべき、経営上手な店であり、商品に味で勝負する店。大変参考になりました。

○ウオルマートの一面について報告します。ウオルマートがお客様の要望など聞きながら場所によってお客に見合った店を作っています。シカゴの都心にも出店しはじめた「ネイバーフッド・マーケット」DSです。当初より始めた「ウオルマート」DSです。そしてMWCの「サムズクラブ」。お客様の忙しく買い物できる「ウオルマート・エクスプレス」。今後続けていく主力の「ウオルマート、スーパーセンター」。

次商業の見方が変わったとおっしゃる石原先生のお話です。
○小売業の世界で「いい店」とは店にお客がいっぱい入っている店。坪当たり売上の大きい店と言うのが常識です。私自身も1987年ウオルマートのスーパーセンター1号店を見るまでそのように思っていました。ミズーリ州のセントルイスから車で1時間ぐらいのワシントンと言う小さな田舎町があります。行政人口9200人。商圏人口を最大限に見積もっても12000人という地域に約6500坪のスーパーセンターをオープンしました。日本の感覚だと大型の新店だから、客が押し寄せて、さぞ混雑しているだろうと思うわけです。私たちが行ったのは水曜日の朝10時頃ということもあって、店には客がいなくて、ガラッとした状態でした。すると一緒に行った小売業の人が即座に「こんなに客が入っていないんじゃ、この店ダメですね」と言うのです。ロクに店も見なくて言うのです。ところがあとで店の年商を聞いてみました。役4000万ドル1年。当時の日本円で50〜60億円という話でした。これを地域の所帯数で割ってみますと、大体一世帯で年間140万〜150万円ぐらいスーパーセンターで支払っている計算になります。当時米国の一世帯あたりの平均収入は400万円弱。田舎の暮らしの消費支出の割合は60%位ですから、田舎のワシントンの人達は生活のための買い物の大半をスーパーセンターに依存していることになります。私はそんな生活カバー力の高い店に出会ったのは初めてでした。その頃日本で評判になった店といえば、イトーヨーカ堂が日立の駅前に作った店です。確か商圏人口は約50万人、予定年商は120〜130億円ぐらいだったと思います。同じように一世帯の人数を3人として計画してみると、1.ヨーカ堂の店に対する1世帯辺りの支出額は年間で7〜8万円でした。「地域の人達がどれだけ、その店に依存して暮らしているか」という見方をすると、生活のごく一部を依存しているにすぎないわけです。それに対し、スーパーセンターは、たとえ小商圏でも、生活に密着した綿密なマーチャンダイジングによって需要を余さず、カバー地域の生活を支えています。生活総合業態ですので「いい店」は売上高じゃない、地域の生活の役に立っているかどうかが大事なんだ。と、そこで私の小売業に対する見方が一変しました。とおっしゃっておられました。

ショッピングセンターを次々と見学いたします。バスに乗ったり降りたりです。バスの中では石原先生のお話、ショッピングセンターを見学しての店の様子はメモした程度です。12日13日14日は、先生のお話と見学店についての報告を致します。
クリスマスの飾りについて、昨年のニューヨークに比べてほぼ同時期なのにクリスマスの飾りつけが少なく感じました。先生は小売業で売上も利益も結果です。目的ではありませんプロセスを大事にすれば良い結果が得られます。プロセスはお客様を楽しませる。モットクリスマスの飾りに力を注ぐべきだと。アパレル専門店も百貨店も昨年はリーマンショックの直後だった為が黒一色と言って良い店の商品の色でした。毎年米国の視察に着ておりますと色が出始めます、と日本も来年から良くなる。と言っても間違いないではありませんでした。どうなることやら今の時代はと思いました。

○アンソロ、ボロジー(専門店)婦人服アクセサリーホームファニシング(寝装品、台所用品)模造オブジェ(美術品などの石や木の模造品)装飾品、ギフト商品のチェンストアです。店に入ると何でもある、と言う感じ。しかし何屋か?と言うとわかりませんでした。説明を聞いてなる程と思いました。この店は30才〜40才の女性をメインターゲットとし「物よりもライフスタイルを売る」というコンセプトでユニークで独特の商品の品揃えをしています。1992年開業、1998年にはメールオーダーによるウエブサイトでの販売開始。全米に147店舗ありますがウエブサイトを通じて180カ国の消費者を顧客としております。お客の要望がこんな店を作ったのかな、など思いながら見学いたしました。日本でも参考に。

○アウトドアワールド  非上場のチェンストアです。創業者はジョン・モリスで1971年父親の経営していた酒屋の裏手にスポーツ用品と釣り道具売場を作って始めたのでした。若かった釣り好きのモリスは近くに釣りの専門店が無かったので自分で始めたのでした。店の立地は湖に向かう途中にあり、その湖は格好のバス釣りのスポットであります。その狭い売り場で自家製釣用餌を販売した結果、それが人気を博し、1974年彼は郵送による「バスプロショップカタログ」を始めました。間もなくこのカタログ販売は境でもっとも大きなスポーツ用品通販となりました。一方店舗内で1977年バス釣り専用のモーターボートパッケージをショールームに展示します。これは非常に革新的な試みでした。店舗面積は3900u〜28000u大型店は「アウトドアワールド」とした知られています。大型店は2011年49店舗、他に関連店舗が数店あります。店内は品揃え商品の外剥製やその土地の魚を入れた水槽があります。その水槽でプロの釣り人や店舗のプロスタッフが餌の使い方のデモンストレーションなどを行っています。店内でもアウトドアの様々な活動をお客様に教えていました。品揃えも釣り針1つとってみてもこんなにもあるものかと感動しながら店内を見学しました。集合間際に厚さ3センチぐらいのカタログ買おうと思ったが無料で頂いて帰りました。

○ビクトリアシークレット  婦人服、下着、香水、美容用品などの店です。売上高50億ドル営業利益10億ドル。店舗はピンクを基調としたセクシーなデザインの店のように感じました。お話を聞くと、下着や水着をはじめとする取扱商品の多くはセクシー路線が特徴とのこと。またファッションショーやカタログ通信販売に力を入れておるとのことです。1990年にスーパーモデルを起用したランジェリーファンデーションショーで有名になりました。このショーがテレビ放映され店もモデルも有名になったとのお話でした。

○スポーツオーソリティ  全米最大のスポーツ用品店のチェンストアです。全米に460店以上の店舗をもち、日本ではイオンとのジョイント、ベンチャーとして日本国内でも店舗展開をしています。日本での店舗と同じように見受けられました。この会社はいろいろの企業と合併を繰りかえした集合体とのお話です。最も古い期限は1928年コロラド州で新聞配達をしていたネイザン・ガードと言う人が50ドルの資本で「釣り竿貸し」を始めてからです。その後ガート・スポーツ会社設立。1971年スポーツキャッスルの店名でオープン。1980年代から一連の企業買収で成長が始まり今全米33州に205店舗。合併は終結を知らないとのお話でした。

○コーチ  1941年NYマンハッタンの創業の高級皮革製品メーカーからの出発です。社名の頭文字C。この柄をハンドバックや財布、パスケースなどに使っています。柄の種類は男性用女性用と豊富なバリエーションを展開しているチェーンストアです。日本では20才〜30才前後の女性の購入単価や頻店の高さが特徴とのお話です。社名は乗り物を意味しており馬車の代名詞であったハンガリーのコーチと言う都市名から来ています。売上の上昇率に利益率が高く、企業評価の高いコーチです。又高級品を出す一方で、アウトレットの店などの経営によって中低所得層にも商品を販売しており「すべての層を相手に商売ができる」と言う評価もあります。アウトレットへの出店の増加により、正規店の売上減少やブランドイメージ低下の可能性はあるものの、2007年サブプライムローン問題を機に米国景気の伸び悩む中でも強い出店姿勢を崩していないコーチです。2000年10月ニューヨーク証券取引所に上場。以後はバッグと財布などの皮革製品メーカーから総合ファッション企業へと急速に路線変更を行っています。生産をドミニカ共和国や中国など絵の外注に切替え、2001年には日本市場を中心に人気のあるキャンバス地の名前などをとったラインを発表、コーチの流れを決定付けました。バブル期の1988年日本に初出店、2001年住友商事との合併で「コーチジャパン」を設立。2005年株式を買戻し、現在はコーチ者の100%子会社。2011年時点店舗数730店舗。売上高2009年32.3億ドル。

○ウオルグリーン  米国最大の薬局チエンの1つ売上高721億ドル(2011年)米国の小売業はトップがウオルマート。次がCVSケアマーク。NO3がクローガーで次がコストコ全米第5位の売上高がウオルグリーンです。DSのターゲットを抜いています。店舗面積は1350u。2万5千アイテム。1店当り売上850万ドル、1日当り500万人の顧客、処方箋の調合は5億8300万。近年SMにもDSにも薬局があり競争激化の中、生き残り策として調剤薬局へと脱皮しました。西海岸居住の人が東海岸で旅行中薬の調剤をカルテで出来るウオルグリーン薬局は米国の人々に重宝がられています。

続編は今回で終わります。10月14日帰国の途です。今回までの分は10月12日までの分で10月13日は早朝ゼミとアウトレットの見学で終わります。皆様方の近況報告は又見はからって報告させて頂きます。大をなした米国小売業の生い立ちで奨学生の皆様の中で事業を始めようとお考えの方々にも何かお役に立てばと思って資料と現地を見ながら報告させて頂きました。メモ書きのつたない文を最後までお読み頂きありがとうございました。


トップページ
寿崎育英財団とは
理事長挨拶
募集要項
お問い合わせ
寿崎育英財団各県案内
私を語る
 商業界

 寿屋OB会

 ロータリー

 理事長からの
 メッセージ


寿崎育英財団
住所 熊本市中央区水前寺6−1−38
TEL/FAX 096-340-8520

Copyright(C)2010 寿崎育英財団 All rights reserved.