平成24年11月25日
(財)寿崎育英財団奨学生への皆様へ
理事長   寿崎 肇

皆様の近況報告に少し余裕がありましたので私の10月9日から10月15日までの、米国のデトロイトとシカゴでの小売業視察セミナーに参加した報告をいたします。
出発は2012年10月9日15時05分成田を出発し、9日13時40分デトロイトに到着しました。到着後間もなく市内の「ヘンリーフォード博物館」の見学に参りました。アメリカ100年の自動車や機関車ライト兄弟の飛行機などの博物館でアメリカで最も偉大な革新の場、そして最も偉大な発想の場であるとおっしゃっておりました。このヘンリーフォード博物館は単一の屋根の下の面積が12エーカーあり何万点もの人工物で満たされ、それぞれがアメリカの革新の情熱について物語っていました。技術革新、社会革新、通信、製造、輸送などにおける革新が見学出来ました。小学生の勉強の場とのお話で、各自で見学したものに対し、興味のあるものについて学校で発表することでした。この博物館はヘンリーフォード、フォード自動車創始者個人で作ったものです。そのヘンリーフォード氏は発想の豊かな人で、世界に類を見なかった車やエンジンや巨大な製造コンビナートのアイディアを持った方でした。このフォード一世は20世紀の起業家であり、その革命的な車両は20世紀の車です。1908年ヘンリーフォードの大成功を収めたモデルT型(俗にT型フォード)が発売され、割安、効率的、信頼性の高いモデルTにより大衆が自動車を所有するようになりました。当時足の長い馬が早い時代から町にも田んぼにもT型フォードがあふれた伝説があります。このヘンリーフォードに対し「フォードさんあなたの成功の秘訣は何ですか」の問いに対し「若しこの世の中で成功の秘訣があるとすれば、それは自分の立場からではなく相手の立場に立って考える能力」とおっしゃった。と言われています。
最初の飛行機のエンジンは自動車エンジンをつけたもので汽筒が20個あるもの、カバーなしでした。人種差別、白人の黒人に対するものは日本の殿様と農民のようなものでバスのシートが白人用黒人用の説明がありました。白人4割黒人6割の人口、黒人仲間でバスに乗らない。と言った為バス会社も困り、お詫びして誰でも、どのシートでもとなった差別時代のバスの見学。よく見よと言われたもので原動機つき四輪車。馬が引っぱっていた四輪車の下のほうにエンジンをつけた自動車これが出来たのが1903年。御者の乗り位置の下につけたガソリンエンジン。有名なモデルTへの道を開いた車でした。DC3空のヒーロー、世界の航空機の革命。ライト兄弟の作った飛行機。翼は紙を骨組みに張ってありました。
石原先生は何故このヘンリーフォード博物館を見せたかったのかを考えました、中身はすべて革新、革命ばかりだと思いました。米国小売業視察の第一発を殴られた最初の見学でした。GM本社70階の前の川がデトロイト河。遊覧船は川の上り1時間米国側下り1時間カナダ側を通るそうですが遊覧船は見当たりませんでした。自動車の町にモノレールがありました。モノレールGM本社前駅外6駅あるそうです。渋滞のひどい町で各社の連絡などの為に作られているそうです。前後しますがデトロイト空港からバスガイドさんの説明です。デトロイトは自動車産業の町。米国もガス(ガソリンのこと?)の値上がりで大型の持ち主は中型へ。中型車の持ち主は小型へと移って来ました。
この町デトロイトにも日本車が多く走っています。バスの車窓からはトヨタが目につきました。緯度は北海道と同じとのこと。フォードとかエンジンは同時代の方。エジソンの言葉に1回の成功には1万回の失敗があって成し遂げた。失敗は成功の源、成功するまで続けよ。とデトロイトは1610年フランス人探検家によって探訪されシカゴが創設される100年以上前の1701年7月24日に毛皮商人のアントワニーキャデラック(彼の名は2世紀後に世界的有名な高級車の名前に使われています)によりデトロイト市が創設されました。デトロイトと言う名はヒユーロン湖からセントクレアー湖を介しエリー湖までつなぐ海峡をフランス語でデトロワと呼ばれ1760年にフランスより占領したイギリス軍に名付けられました。そして独立戦争後デトロイトの領地はアメリカ軍に占領され1818年には初の汽船ワルク、ウオーター号によって水上運搬時代の幕開けとなりました。これにより五大湖湾岸の主要都市との交易が盛んになり、デトロイトに飛躍的な繁栄をもたらしました。1901年ヘンリーフォードによる世界初の自動車生産をかわきりに、1915年からは信号機、フリーウエイ、舗装道路など全米初の投資が行われました。人口は1850年2万人、1920年約28万人、1970年ピークで約150万人現在は約100万人。デトロイトはアメリカ最大の中古車市場があり、石油化学や宇宙航空産業の工場群など発展の要素をもつデトロイトも1970年―1992年にかけての世界的な経済不振の煽りを受け、約20万人が解雇されました。一時期、夜のダウンタウンは無人の町と化したと説明しておりました。米国自動車誕生100周年を迎えたデトロイトは「世界の自動車の首都」として、さらに活性化に拍車をかけているとのことでした。
私達ツワーはデトロイト1泊シカゴ4泊いたしましたのでシカゴについても聞いたことを書かして頂きます。
シカゴはニューヨーク、ロスアンゼルスに次ぐアメリカ第3の都市です。アメリカ合衆国の中央より北東に位置するイリノイ州にある中西部最大の都市、緯度は日本の函館とほぼ同じ。アメリカ本土にある4つの時間帯の中で、セントラルタイムゾーンに属し、ニューヨーク(イースタン、タイム、、ゾーン)からマイナス1時間、ロサンゼルス(パシィックタイムゾーン)からはプラス2時間の時差があります。日本との時差はマイナス15時間ですが4月の第1日曜から10月の最終土曜日までのサマータイムはマイナス14時間です。シカゴの東側には五大湖の1つミシガン湖があります。この広さは九州と四国がスッポリ入る広さだそうです。治安について1920年に施行された禁酒法時代のボス、アル・カポネの悪いイメージがあります。しかし治安については非常に厳しい街だそうです。シカゴは摩天楼発症の地としても知られ、近代建築の宝庫。建物見学のツワーも多数とのこと。街角の何気なく飾られたオブジェが有名作家の作品と言うこともあり、その数の多さ一見の価値ありと言われます。シカゴは人や、企業や音楽など育てる風土があると言われているそうです。
10月10日8時より9時30分まで早朝セミナー第1回。参加者の自己紹介から始まり石原靖曠先生の講義は先づ米国を知って頂くお話。日本人は生まれつき代々日本人です。米国人は新天地米国に夢と希望をかなえ、ひと旗あげたい人が米国に来て米国人になりました。多民族国家です。共通語として英語は今日まで国会で通過できておりません。言葉も食べ物も違う国から来て米国を成立させています。つまり民族のエゴをもった人、人間の偏見など克服して米国が成り立っています。私は英語が話せません。が生活は出来ます。コミュニケーションは言葉ではかられます。しかし表情によって出来ます。第一に笑顔。エレベーターに乗り合わせたら先づ笑顔。表情に気を配って下さい。次にマナーです。レディファーストをお忘れなく。エレベーターに乗る時女性30人居ても乗り終わるまで待つ。奨学生の皆様には関係ない事ですが先生が我々に、英語の単語を2〜3ぐらいは覚えて使って下さい。エキスキユズミー次がサンキューを。支払いでお金受け取ってもらってサンキュー。イエスノーははっきり。それから何にでもプリーズ。コーヒープリーズと。私はあまり使うことがありませんでした。先生は今の米国を考えるとものづくりが退化しておる国と見てよいでしょう。ドル安は輸出に有利。しかしドル安は円高です。これはなかなか修正されない。米国は売ることは上手です。お金がお金を生むようにまで考えた結果世界を不況に。又返済出来ない人に家のローンを組む。GDPの7〜80%が消費。これを活発にする。不良のローンを証券にして世界中に売る。教育ローンの悪用。ローンで卒業して職がない、返済出来ない。こんな人に派遣社員として募集アフガンへ。鉄砲は持たない、武器を運ぶ人へ。戦死しても国に関係ない。米国には日本のように国民健康保険はない。自分のことは自分でせよ国は面倒見ないよ。だろうか。
日本の消費者は変わってきました。
第1期昭和20年に終わった戦争体験世代。ハングリーな日本人。消費の活発な世代。
第2期昭和20年以降生まれた世代。豊かな人の時代。ブランドが生まれ。ブランド品を求める世代。
第3期この世代が今。ハングリーはいない。欲しいと思わない。シンプルな人々の世代。
お客様の求めておる、もの、こと、の期待に如何程応えられるかです。お客様のご満足して頂く、お客様に喜んでいただくことを全社員1人1人の工夫や努力で行い社員の喜びとする。自らが考え実行する為毎日がワクワクした勤めになる。これが今の時代の繁盛する小売業の常識と考えるべきでしょう。イトーヨーカドーの伊藤雅俊さんが流通のパーティの席でのご挨拶で「もうナショナルチエンの時代ではなくなりました。10店舗ぐらいで地域に密着した小売業が求められているのではないでしょうか」のように大企業型小売業の時代からお店主体の小売業の時代になりました。今までの小売業に企業評価は企業成功論でした。大企業になれば安泰と考えて小売業をやってきた。しかし小売業に企業成功の意味はあるのか。企業経営の成功が良い店であるとは限らない。個々のお店がお客様にどれ程支持されるのか。マーチャンダイジングプレゼンテーション、ヒューマン、リレーション。時代は便利が売りもののコンビニエンスの店から、お客様が目的買いをするデステネーションの店の時代に入りました。ライフスタイルの店。つまり特定の生活に基づいて品揃えをしておる店。すべてのお客様の都合の良い店。アメリカで起こったパワー業態と同じ。
リーマンショック後の米国小売業も日本の1993年(平成5年)の業態変革期。「店は客の為にある」「店員と共に店は栄える」「損得より善悪が先」「お客に有利な商いを毎日続ける。」つまり原点回帰です。店の役割は何かを与えよう。時代杜共に進化する店になる為には。基本の徹底とは。原点回帰とは。難しいことはない。お客様から喜んで頂くことをやり続ける、お客様の困っていることへ応える。つまりお客様の苦情要望を早く叶える。商業の成功は資本の力ではなく、従業員の智恵の結果。エンブロイイー(従業員)からアソシエート(経営の同志)は。サラリーマンから商人づくりへ。ウオルマートの株主総会は2万人参加内8割が社員株主。総会終了後「株価上げる為に頑張ろう」と。商業は「店がすべて」です。流通業と呼んだ間違い。これはお客様不在です。良い店を作る組織はファミリー経営です。ウオルマートの創始者サムウオルトンの哲学を今一度学ぶことです。以上
○10月10日早朝ゼミ終了後10時発
デトロイトからシカゴへ向かう車中で。
店舗見学しながらシカゴ着は夜8時過ぎとのこと。店舗見学の前のバスの車中で見学先のショッピングセンター(SC)見学の前知識として見所。店の生い立ちなどの説明があります。石原先生とおっしゃる小売業商業の大先生に密着ご指導を頂きます。
今からの店舗はデネステネーションストア(目的来店型店舗)はパワーセンターの時代とも考えられます。1980年第二生まれたパワーカテゴリー業態でターゲットはディスカウントストア(DS)です。ウオルマートに次ぐ第2位のDSです。家電業界を見ますと、シアスはゼネラル、マーチャン、ダイジングストア(GMS)で家電部門もダントツ。これをサーキットシティが追い落としました。そのサーキットシティをベストバイが追い落としました。このベストバイも得意な商品をスーパーマーケット(SM)やDSに食われて往年の繁盛は見られません。本屋も立ち読み禁止の時代から現米国では図書館に言ったような感じが本屋。ソファがあり喫茶店あり、本屋で勉強ノートしている学生。が今の米国今の米国の本屋。ウオルマートに次ぐ業績のホームデポは日本のお手本のホームセンター(HC)。素人でも家一軒を立てることの出来る品揃えと指導がホームデポを押し上げました。近隣型SC(ネイバーフットSC)のキーテナントであった薬局(DgS)とスーパーマーケット(SM)が住宅地への単独出店でNSCから脱落する時代。SCは次第大型にあります。米国で変わりきれない店が駄目になります。脱皮進化の店作り。お客様が何を求めておるのか。学んで下さい。売ることを大切にするアメリカを良く見て下さい。
○ホームデポは1979年ホームセンターのカテゴリーキラーとして創業されました。カテゴリーキラーとは伝統的慣習の店をひっくり返した店。たとえれば荒利率が29%が常識の業界を13.6%で運営できたホームデポです。ホームデポの社長はカリフォルニアのホームセンターの幹部でした。新しいホームセンターづくりを社長に進言しましたが受け入られず、自分で始めました。当時1980年からアウトレットが始まりますが、これはファッション品の契約の引き取り出来ない品。売れ残り品同じ店で売っては別の商品に問題が起こる。ので困った企業の商品をテナントとしてショッピングセンターをアウトレットモール。都心の店より1時間以上の処にこのモールがあります。最終日に見学。ホームデポを見学して、素人が家を一軒作ることの出来る材料を全部品揃えした店です。ペンキも色もお客の要望で作ってあげています。アドバイスも十分のようです。
○シアスもキーテナントとしてSCに入店しています。全盛時代の店を昔見学した時のような活気溢れる感じはなくなりましたが、白もので冷蔵庫の自社ブランド「ケンモア」は健在でした。家電は力が抜けていましたが衣料品に力が入っていました。小型機械が充実しておりました。
○デトロイトからシカゴまで260マイル。途中多くの森を見ながら通りました。真っ赤な紅葉んい黄色の木の葉が夕日に映えて特に楽しいシカゴ行でした。先生が米国の大手小売業の店長にアポをとる為土曜日電話したら土日はお休みとのこと。この会社は大企業病だと感じました。と。
店舗の解説を致します。
○ベストバイはミネソタ州ミネアポリスに本社を置く世界最大の家電量販店でかつては米国「フォーチェン100」に選ばれた優良企業。しかしウオルマートとの競争激化などから利益面で苦戦を強いられています。売上は2008年400ドル、2011年12億ドルの赤字。店舗数は1150店。2012年以降大型店50店閉鎖し、スマートフォンに特化し、小型店の出店を積極的に行う行う方針。2015年までに8億ドルのコストをカットし非上場を目指す。同社は1966年ミネソタ生まれの社長は空軍を退役後オーディオ機器専門店を作ったのがはじまり。90年代に入り、物流体制をシンプルにし、コストを低減させる一方で店舗の大型化による品揃えの強化。店舗の半分をソフト関連商品(パソコンソフト。CD。ビデオゲーム)半分をハード商品(パソコン、白物家電オーディオビジュアル)に充てていた。これが当って2001年売上でサーキットシティを抜き家電量販店で全米1位に店を見学しながら振り返ってみました。世界一の小売業が現在ウオルマート。その前がKマート。その前がシアス。GMSで家電の強かったシアス。自社ブランドは「ケンモア」米国の家庭で白物7割がケンモアの冷蔵庫と全盛を誇ったシアスの売上を奪ったのがメーカーの協力得たサーキットシティでした。そのサーキットシティを当時流行のソフトの圧倒的強さで、ベストバイがサーキットシティを抜き去りました。サーキットシティは2008年11月に倒産しました。その最強のベストバイがウオルマートやメンバーシップホールセールクラブ荒利率10%(MWC)に押されている。企業経営は常時、新もの食い。挑戦。勇敢に前に出る。朝令暮改。お客様の声を早く。小売業に携わる者。片時も胡坐(アグラ)は許されない。パナソニックはこの戒めを忘れておった?。
○ホールフーズマーケット
現在店舗324点(2012年5月)売上高は101億ドル、荒利率は35億ドル。スーパーマーケットとしては高い荒利率。グルメフード、自然食品、オーガニックフード。ベジタリアンフード。輸入食品。各種ワイン。ユニークな冷凍食品の品揃え。いわゆる「グルメ、スーパーマーケット」と呼ばれる比較的高級志向の食品小売業。1978年25才、大学中退者ジョン・マッキーと恋人で当時21歳の2人で家族から借りた資金4万5千ドルで開店した小さな自然食品の店がはじまり。店名は「セイファー、ウエイ」当時全米トップクラスのSM「セイフ、ウエイ」をもじったものでした。米国には巨大なスーパーマーケット(SM)があります。しかし巨大な為か過程の台所での食事の原材料店と言って良い。しかし、トレーダージョーズ(後述)してもこの店にしても家事代行の手の加わった商品など行き届いており、ファミリー経営の店の感じ。その場で食べられる商品の品揃えの楽しさ、昼食時なら買って食べたいと思いました。石原先生はファミリー経営が最も行き届いている店。大きいことは良いことではなく行き届かない代名詞。企業力の競争の時代から店の力の競争の時代に入った米国小売業のように感じました。
今回はデトロイトからシカゴに移動の途中で店舗見学をしながら石原先生のコメントや店の様子を報告しました。前半はこれで終り後半はシカゴでの報告になります。

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